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日本書紀に記載されている神宮は伊勢神宮と石上神宮だけであり、日本最古の神宮の一つと伝わる神社。創建は第10代崇神天王(紀元前97年)即位7年と伝わる。当時の大峰山等の御山は、恐れと畏敬の念をもって犯すべからずの、まさに深山幽谷の神山であり、開山などは、とんでも無い事であったと言われています。 | |||||||||||
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物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き当宮に祀られることになった。ついで五十瓊敷命が剣一千口を作り神庫(ほくら)に納め、さらに丹波国桑田村の人甕襲(みかそ)が八尺瓊(やさかにの)勾玉を献じ(「日本書記」垂仁天皇87年の条)「釈日本紀」に引く天書には、天日槍(あめのひぼこ)の所来の神宝も納められ「神宮」の称号と共に古代史上独歩の地位をしめていた。下って平安時代末期にいたり、白河天皇の尊信あつく、永保元年(1081)鎮魂祭のために、宮中三殿の一つ、神嘉殿を拝殿に寄進され、神門を改めて、今日の機構に築造され、寛治6年(1092)上皇として親しく神宮に参詣された。 本社の称号は石上神宮・石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神・石上神社などと称され、また岩上大明神・布留大明神ともいわれ、略して布留社・石上社とも呼ばれた。 延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と見え、早くから官幣に預ったが、明治4年に改めて官幣大社に列し、同16年に、神宮号の復称が許された。 例祭並びに渡御祭は10月15日で、神剣渡御祭(でんでん祭)6月30日、榜示浚・鎮魂祭・玉の緒祭などの神事が古来から行なわれている。 |
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