大峰山ようお参り 修行と女人禁制
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【修行】
修験道の修行は、運命(さだめ)によりご縁を授かり、
技術的精進を重ね、それを成す体力的精進を重ね、
六根清浄の修行で魂が磨かれ、徳・精神が高められる、
実験実修の験徳の修行であります。

六根清浄無くして不徳の修行。
私利私欲・煩悩をしての修行。
ねたみ、ひがみ、しっと、うらやむ、うらむ、にくむ、悪鬼の心。
妄想、邪淫、邪心、不浄なる心。
良い人に見れれたい、己の評価を高めたい、実の無い空虚な修行。
したい・したくない、利己中心の心。
験徳修行とは成らず、地獄で喘ぎさまよう亡者と成ります。

【男と女と煩悩】
人類の大役で、男性と女性の一般的に最も明らかな違いは、
女性は命のバトンレレーの大役、子供を産む事であります。
大変な苦労をする稀徳、慈母の如く母性愛を本来授かっています。
性欲もその大役の範囲内でのものが多く、
大役を果たした後は、性欲が無くなっていくのが、
一般的であります。

男性の命のバトンリレーの役割は、身体が機能的に、
性行為の快楽、性欲、性行為への本能を付与されています。
男性は、その快楽を求める本能の為に、
天命を終えても、性欲は身体的な機能が衰えるまで持続します。
験徳の修行は、その己の空虚な煩悩との戦いでもあります。

他方その欲が、出世欲、名誉欲、金銭欲、俗世で必要な欲と成っています。
彼女には良いところを見せたい、プレゼントもしたい、家族を守りたい、
良い車にも乗りたい、家も持ちたい。
これらは愛情と煩悩がセットで成り立つています。

しかしその欲・煩悩が過剰になると他に迷惑を及ぼします。
他を蹴落としての出世、見せかけの名誉、銭ゲバ、
もつと過ぎると性犯罪と成ってしまい世を乱します。
ここに男性の仁徳、験徳修行の必要性があり、
男性の修行として女人禁制が成り立っている理由の一つがあります。

【清浄と不浄】
完全な清浄は「無」であります。
命、生きる、は、生々しい事であり、
清浄の反対側で成り立っています。
男性も女性も不浄の中で成り立っています。
不浄禁制は男女とも同じであり、
身を清めてから修行に入る事に矛盾を生じません。

【神仏】
修験道の神仏の概念は「森羅万象悉くご本尊たらざるものは無けれども」。
現実と成っている多くの因子をご本尊としています。
ご縁も寿命も運命もご本尊の御蔭であります。

現実的に神官、僧侶に女人がその神聖なる役目を担っています。
現実と成している因子全て、これもご本尊の成せる事であります。

地球の寿命の中で、人の寿命は刹那。
いつか寿命を終えるとき、
自らが良い人生だったと感謝が湧き、周りも感謝が湧き出で、
授かった寿命を全うさせて頂け、
「仏さんの様な人やったな」と成仏させて頂けます。