大峰山ようお参り 役行者と伝説
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 大峰山を開山された修験道の開祖役の行者には数々の伝説が御座います。
役行者とは、7~8世紀に奈良を中心に活動した修験道の開祖とされています。
実在の人物であった事を確認できる正史と言われる史料は、非常に限られ、平安初期に編纂された、『続日本紀(しょくにほんぎ)』にある記述に数行あります。

「役小角(えんのおづぬ)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かな様ですが、生没年など詳しいことは不明です。もっとも、伝説の多くは、舒明天皇六年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に、「昇天されたとされています。

「役優婆塞」とは、平安初期に成立したと目されている『日本霊異記』における役行者の呼び名です。優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味する言葉です。役行者は、僧侶ではなく、在家仏教信者として修行した人です。

「役行者」という呼称は、平安期に入ってから使用されだした様です。それ以前の奈良時代には、「役君小角」と一般に呼ばれていた様ですが、詳細は不明です。

「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に三年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政十一年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。

役行者にまつわる伝説は大変多く、それらが記された書物も数多く伝わっています。それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空を、野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。

伝説には、奇想天外にすぎて、現代的には到底信じがたいようなものが多くあります。しかし、いずれにせよ、役行者とは、数々の不可思議な事績をのこした偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。

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