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大峰山を開山し修験道の開祖の役の行者は文武帝三年伊豆大島に配流されました。 | ||||||||||||
島流しにあった役行者様が修行の場として使っていたとされる海辺の洞窟のそばに、島内外から信者さんや見学者が集まって、毎年6月15日に行者祭りが行われます。 現在、伊豆大島に行者窟と呼ばれる海辺の洞窟は、途中の道が崩落し立ち入り禁止になっており毎年6月15日に行われる行者祭りの時だけ入れます。 また「護摩だき」(左)は、以前は洞窟の中で行われていたそうですが、崩落があり危険なので外で行われるようになったそうです。(「洞窟内で行われていた時は、煙に光があったってとても幻想的だった」といわれています。 梅雨時期にも拘らず、そのお祭りの時だけは必ず雨が止むといわれ、役行者様と地元の方々、ずっと守ってこられた先人達の祈りと純粋な気持ちに心打たれます。 伝説に役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。富士山麓の御殿場市にある青龍寺は役行者の建立といわれている。 また、ある時、日本から中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で五百の虎を相手に法華経の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、道昭に質問したと言う。
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