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大峰山修験道行者問答開祖役の行者に、 幼少の頃より神童の誉れ高く、七歳にして叔父 願行上人に佛法を学び、 葛城の二上・金剛山等にて苦修練行)。 と御座います。 金剛山も役行者が修行された御山で御座います。 |
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法起菩薩(ほうきぼさつ)は金剛山の山頂の転法輪寺にお祀りされています。 金剛山は役小角によって開かれましたが、役小角が金剛山で修業中に現れたのが、法起菩薩だそうです。そのお姿を仏像にして安置されたそうです。五眼六臂のお姿で、農耕の守護神だそうです。 明治の廃仏毀釈の嵐の時に、仏教よりも苛烈に潰されたのは、修験の寺です。転法輪寺も存在を許されなくなり、仏像は壊されることになります。 2m程の立像であった法起菩薩は、仏頭だけを金剛山の下の菩提寺に隠して、胴体は破壊。胎内仏は一時避難して難を逃れ、現在に至るまで秘仏として本堂に安置されています。 六臂うちの二本の手には、今は損傷していてわからないそうですが、文献によるとなんと鋤と鍬を握っていたといわれています。農耕の守護たる菩薩としての像だそうです。 菩提寺の法起菩薩は事前に拝観の申し込みをすれば拝すことができます。 転法輪寺では、この胎内仏を安置する法起菩薩立像を造るべく、勧進を行っておられます。 江戸時代に隆盛を誇った修験道も明治に大打撃を受け、歴史の教科書からも修験の言葉は消えています。 修験も原始宗教の要素が強く、自然をそのまま拝すのが道。仏教と神道は、修験道が合わさって、うまく習合して、日本的独特の宗教観を作り出してきましたが、明治の時代に一掃されました。 神道も例外ではなく、小さな神社は潰されて合祀されて、特殊神事もその多くが消えました。 人々の暮らしのすぐそばに身近にあった、神仏が、しばらく遠のいていたように思います。 大陸からの仏様が多い中、法起菩薩のように、日本で生まれた仏様もおられるのです。 |
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