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吉野の桜は、1300有余年前、修験道の開祖・役行者が、山桜の木にご本尊蔵王権現を刻んだことから、御神木として崇められ、祈りを込めて植えられてきたと伝えられています。 そして、吉野に住む人々が代々、大切に守ってきました。 その数、現在約3万本といわれ、その殆どが“シロヤマザクラ”です。 ヤマザクラは日本の野生の代表的な種で、観賞用として江戸時代に誕生した“ソメイヨシノ”とは異なり、寿命が長く大木になることで知られています。 因みに大嶺講が属している大峰山護持院櫻本坊の櫻にまつわる縁起を紹介いたします。 万葉の時代 天智10年 天智天皇の弟、大海人皇子(おおあまのおうじ、のちの天武天皇)は吉野離宮日雄殿にてご修行されておりました。 激動の時代の中で、「野に放たれた虎」とも称された日々のこと。 ある冬の夜、吉野の山の中に満開の桜がみごとに咲き誇る夢をごらんになりました。 翌年、壬申の乱に勝利し、大海人皇子は帝位につかれ、天武天皇として即位されました。 爾来、天武・持統天皇の勅願所となり、1300年 神仏と共に大いなるいのちのなかで 天下の泰平(世界平和)・万民の安楽(すべての魂の安らぎ)を祈りもとめる修験道の根本道場として今日に至ります。 夏の大峰奥駈修行をはじめ止観や瀧行・写経写仏などの浄行、聖天さま、お釈迦さま・お地蔵さまなどの法要を通し、人格と自己を実現する「場」、それが櫻本坊
道場です。 |
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吉野山と歴史 | ||||||||||||
671 | 役行者が大峰山(湧出ヶ岳)で蔵王権現を感得し、その御姿を桜の木で刻んだと伝えられる。 | |||||||||||
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701 | 持統天皇、この年までに三二回も吉野に行幸。 | |||||||||||
900 | 宇多法皇、この年と延喜五(九〇五)年に金峯山に参詣。 | |||||||||||
960 | 内裏炎上。そのあと吉野山の桜が紫宸殿前に植えられる(左近の桜) このころまでに「金御嶽」として、金峯山の黄金埋蔵伝説が生まれる。 |
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1007 | 藤原道長が御嶽詣(金峯山詣)をし、金峯山山上に経塚を築く。 | |||||||||||
1049 | 藤原頼道が御嶽詣 | |||||||||||
1092 | 白川法皇が御嶽詣 | |||||||||||
1140 | 平忠盛が金峯山に鐘(三郎鐘=重文)を寄進。このころ西行が来て寓居する。 | |||||||||||
1185 | 源義経らが吉野山に潜伏。静御前が捕らえられ、鎌倉に送られる。 | |||||||||||
1226 | 如意輪寺の蔵王権現像(重文)が造られる。 | |||||||||||
1251 | 水分神社玉依姫神像(国宝)が造られる。 | |||||||||||
1332 | 大塔常護良親王が吉野に城郭を構築し、倒幕の兵を挙げる。 | |||||||||||
1333 | 鎌倉幕府軍が攻め寄せ、護良親王ら高野山に難を避ける。 村上義光・義隆父子が討ち死に。吉野山ほほ全焼。 |
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1336 | 後醍醐天皇が吉野山に潜幸。南北朝の対立が始まる。 吉水院宗信らが後醍醐天皇を迎え、吉水院(現在の吉水神社)を行在所とし、ついで実城寺(金輪王寺)を皇居と定める。 |
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1338 | 仁王門(国宝)の金剛力士像(阿形・県文)が造られる。 | |||||||||||
1339 | 後醍醐天皇崩御。塔尾山(如意輪寺本堂の裏手)に葬られる。 仁王門の金剛力士像(吽形、県文)が造られる。 |
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1347 | 楠木正行が後村上天皇に最後の別れを告げるために参内、後醍醐天皇陵に詣でたのち四条畷へ出陣 | |||||||||||
1348 | 足利方の高師直軍が攻め寄せ、後村上天皇ら賀名生(西吉野村)に難を避ける。吉野山ほぼ全焼。 | |||||||||||
1471 | 蔵王堂正面の銅灯龍(重文)が寄進される。 | |||||||||||
1553 | 三条西公条が来て「吉野詣記」を著す。 | |||||||||||
1578 | 摂津平野の豪商末吉勘兵衛が桜の苗一万本を寄進する。 このころから、参詣の人々による桜の献木植樹が盛んとなる。 |
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1592 | このころ現在の蔵王堂(国宝)が再建される。 | |||||||||||
1594 | 豊臣秀吉が、豊臣秀次・徳川家康・前田利家・伊藤政宗らを引き連れ吉野で大花見をする。因みに家康隊は櫻本坊に宿泊したrと伝えられています。 | |||||||||||
1595 | 豊臣秀吉、金峯山寺に寺領寄進の朱印状をあたえる。 | |||||||||||
1604 | 豊臣秀頼、水分神社社殿(重文)・安禅寺(廃寺)・大橋などを修復。このころから庶民の山上参り(大峯山参り)が、ますます盛んとなる。 | |||||||||||
1874 | 神仏分離政策により、蔵王堂などが強制的に神社に改められる。 | |||||||||||
1886 | 蔵土堂が仏堂に復帰する。 | |||||||||||
1924 | 吉野山が史跡及び名勝に指定される。 | |||||||||||
1928 | 現在の吉野駅まで鉄道が延長される。 | |||||||||||
1936 | 吉野熊野国立公園に指定される。 | |||||||||||
2004 | ・ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録。 ・櫻本坊吉野聖天大祭 世界遺産記念大護摩供(蔵王堂) 行者問答(道場主:澤田 旅の行者:鈴木) |
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