大峰山ようお参り 行者問答
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大峰山修験道の、里の修行・採燈大護摩供で、護摩供に先立って披露される行者(山伏)作法です。
,大峰山登山参拝の二日目の櫻本坊で、その一部をご披露致します。
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(行者)
案内(アナイ)申す。案内申す。
(道場主)
承ふ。承ふ。何処の御方にて候や。
(行者)
某こそは、大和の国は大峯山護持院櫻本坊輩下の先達、大峰修験行者にて候。

(道場主)
その修験者が、本日当道場に御来山の儀な如何に。
(行者)
吾等一行、今回大峰山上に於て十界一如の修行満願仕り、
報恩謝徳のため、各地巡拝の道すがら計らずも、本日当道場において
天下泰平・五穀豊穣・家内安全・家業隆昌・開運・厄除け等祈願のため
柴燈大護摩供、厳修せらるる由なに賜、態推参て候。
何卒入場の儀、御許し下され。
(道場主)
ふうーーん。 御殊勝なる御申出には候え共、
当節、偽山伏多数横行するにより、
当山の掟として 護摩道場に入らんとならば、
修験道の心得、一通りお尋ね申すが、御返答せらるるや如何に?
(行者)
修験心得、御尋ねあれ。御答申す。
(道場主)
然らば問トわん。そもそも、山伏の儀な如何に。
(行者)
そーーれ、山伏といっぱ、真如法性の山に入り
無明煩悩の敵を降伏せしめんが為、
山に伏し野に伏し修行する行者にして、
山とは三身即一の儀、伏とは無明法性の、不二の儀にて候。
(道場主)
して修験道とは如何に。
(行者)
修とは苦修練行、験とは験徳の儀なり。
即ち、深山幽谷に分け入り、苦修練行の功を積み、
自身の本源を悟り、即身即仏の験徳の儀を表すをもって
修験と名付く。また道とは、一宗一派に偏せず、諸宗能通の儀にて候。
(道場主)
然らば、先達とは如何に。
(行者)
山の道案内、指導はもちろん、法の先達なり。
即ち先キに通達して諸人を自由に教導し、
指導するをもって先達と云うなり。
(道場主)
修験道の開祖は何人にて候や。
開祖は役行者にて候。
今を去る千三百有余年年以前、大和(ヤマト)の国葛城、
上の郡茅原の郷(サト)において
高賀茂家に御誕生あらせられ、幼名 金杵丸、後に役の小角と改めらる。
幼少の頃より神童の誉れ高く、七歳にして叔父 願行上人に佛法を学び、
葛城の二上山金剛山等にて苦修練行。
十九歳にして大峰山に入峯、爾来全国の高山に分け入り、
十界一如の苦修せられること多年。
其の間、鬼神を降伏して使役し、道を開き橋を架け、
箕面山の滝崛にては、 龍樹菩薩に密教の秘奥をうけ、
大峰山中においては、孔雀明王に秘法を授かり、
湧出ヶ岳においては、末世剛悪の衆生を救わんがため御祈願、
その満願に当り金剛蔵王大権現出現 。
感得を得て大峰鎮護の本尊となす。
韓国連広足といえるもの、
さきに高祖を師と仰ぎしも、後にその能を妬(ネタ)み、
妖惑成りと讒奏し無実の罪を受け、
文武帝三年、伊豆大島に配流せらる。
島に居る事 三年なりしが、文武帝多夢により無実を知られ
勅許を蒙り皈還せらる。
大宝元年六月七日、御年六十八歳にして母御を鉄鉢にのせ、
深山の岩上より渡天せられしと伝えらる。
寛政十一年正月二十五日、時の帝、光格天皇より
神変大菩薩の諡号を賜りし。
役の行者神変大菩薩こそ修験道の開祖にて候。
(道場主)
して修験道の御本尊は。
(行者)
森羅万象悉く御本尊たらざるはなけれども、
総じては金胎両部の曼荼羅、別しては修行専念のご本尊は
大日如来の教令輪身たる大忿怒形の大日大聖不動明王なり。
尚、大峰鎮護の金剛蔵王大権現、高祖役の行者神変大菩薩を
三位一体の御本尊となするなり。
(道場主)
ふーーむ。よくぞ御答なされしよな。
此れより行者十六法具をお尋ね申す。一々御答あれよ。
まず第一に頭の前八分に頂く頭襟や如何に。
(行者)
これぞ大日如来の五智宝冠にして、武士の甲に形どるなり。
(道場主)
十二の摺あるは。
(行者)
衆生所具の十二因縁を表す。十二因縁、即ち十二大天を表示するなり。
(道場主)
その色、黒色なるは。
(行者)
煩悩暗黒の義なり。
(道場主)
前八分に頂くは。
(行者)
不動頂上、八葉頭襟の内にあるを表示するなり。
(道場主)
結袈裟・九條袈裟の理由な如何に。
(行者)
九津合せば九條 結べば九界。九界衆生を九條に接して、着す
忍辱慈悲の袈裟にて候。
即ち、十界具足の袈裟とも名付くるなり。
(道場主)
磨紫金袈裟の故実は如何に。
(行者)
人皇五十九代宇多天皇の勅(チョク)を奉じ、聖宝理源大師
大峰山再興の砌、
修行甚だしきにより、大師の袈裟破損したるを、猿出来たり。
葛のつるを持ち来り 袈裟を結びて、大師の御首に掛し故に
猿故袈裟とも云い、当山修行者これを掛くるなり。
(道場主)
又、六つの房や輪棒は。
(行者)
これぞ六波羅蜜と心得たり。
(道場主)
手に持モちたる念珠は。
(行者) 念とは念々続起の煩悩にして、珠とは本覚真如の理を表す。
即ち、悪魔降伏 百八煩悩推破の義にて候。
(道場主)
母珠ニ個は。
(行者)
釈迦阿弥陀の仏界なり。
(道場主)
貫緒の糸は。
(行者)
観世音菩薩、念々相続風息を像るなり。
(道場主)
四ヶの数取リ露珠は。
(行者)
善蜜童子・善財童子・愛染明王・不動明王の衆生四大に当るなり。
(道場主)
十個小珠は。
(行者)
十派羅蜜
(道場主)
母珠より七個の珠は。
(行者)
眼耳鼻口の七穴をかたどる。
(道場主)
二十一遍に至るは。
(行者)
三世セ覚満の義なり。
(道場主)
二十一遍より緒留に至る三十三個は。
(行者)
普門広現の世の変るを標するなり。
(道場主)
念珠をこするは。
(行者)
百八煩悩を推滅して菩提の妙果を証得するの義にて候。
(道場主)
しからば錫杖は何故に所持せらるるや。
(行者)
これぞ法界の総体にして衆生覚道の智杖なり。これに三種あり。
第一に声聞杖四輪なり。即ち、苦修滅道の四蹄を表す。
第二には、縁覚杖にして十二輪なり。十二因縁を表し。
第三には、菩薩杖六輪なり。即ち六波羅蜜を表す。
修験所持の錫杖、これなり。
(道場主)
錫杖をふる理由は。
(行者)
即ち一切衆生苦界の長眠を驚覚するの意なりと心得て候。
(道場主)
金剛杖は。
(行者)
これ即ち智杖とも云う。その形、円棒なるは二利円満の義なり。
桧木は火なり。火は智なり。智は能く衆生の煩悩を照破し、
貧窮と福生憧と六種済の智杖なり。
(道場主)
鈴懸を着する理由は。
(行者)
鈴懸とは入峯修行用の法衣にして、金胎両部の法衣なり。
即ち、当道場 真俗不二、当位即妙内証の教義を表す。
その俗体を改めず俗衣をかえずして色心実相の極意を表す。
鈴とは六大週遍法界の塔婆にして この衣をかけて金胎両部、
一乗菩提の峯を修行するが故に 、鈴懸と申し着用するものにて候。
(道場主)
して引敷をつけたるは。

(行者)
入峯修行用の坐具にして獅子の皮にて作る。これ獅子に乗ると感想する。
獅子は畜類の王にして畜類を煩悩にたとうるが故に、煩悩の王たる無明(ムミョウ)煩悩なり。
即ち無明即法性、無明の道理を表さんがため、獅子に乗ると心得て着用するものなり。
(道場主)
腰に巻きたる絹索は如何に。
(行者)
意馬心猿の狂をつなぎとめ、難伏者を縛せんがためにて候。
これに三種あり。先達十六尺、中先達二十五尺、大先達三十七尺。
先達十六尺は般若十六菩神を表し、中先達二十五尺は二十五菩薩を表し、
大先達三十七尺は三十七尊を表すものにて候。
(道場主)
法螺は何故に所持せたるるや。 )
(行者)
それ、法螺と曰者、金剛界鑁字の智体に.して、
法身j説法の内証、三界の諸仏、次々に出世し給(タマ)い、、
説法大会の砌、大法螺を吹き、三界の天衆を驚し、
六道の妄夢をさまし、皆ことごとく中道不生の覚位に帰せしむる儀にて候。
(道場主)
して手甲(テコウ)は。

(行者)
金剛界。
(道場主)
脚絆は。
(行者)
胎蔵界。
(道場主)
草鞋は。
(行者)
八葉の蓮華に乗る心にて候。
(道場主)
身は僧籍にして衆生済度の優婆塞道にありながら、腰に帯や如何に。
(行者)
これぞ金剛法剣にして不動明王の智剣なり。
故に、自身を切らず他人を切らず煩悩菩提を切キらず、
本来無一物なり。
然)りといえども 邪正相戦ふ時んば、般若の霊威三昧邪形の利剣となって、
一切衆生諸々の戯論煩悩及び悪業の敵を断絶し、無漏の覚城に入る事、
何の疑か之あらん。即ち不動利剣にて候。
(道場主)
然らば、当道場中央に組まれし、修験道千三百有余年来秘伝の法、
あれなる護摩の大法の儀な如何に。
(行者)
それ柴燈大護摩供厳修と曰者、
東方 阿シュク 如来の木を、西方 阿弥陀如来の金をもって、
中央 大日如来の大地に切り積みて、南方 宝生如来の火放ち、
これを悉く焚焼し、北方 釈迦如来の閼伽を以って清浄ならしむ大法なりと心得て候。
(道場主)
然らば最後にお尋ね申す。 
姿形ある一切衆生の悪業の敵は、断絶しうると言えども、
姿形なき天魔・外道・四魔・三障の類は、
何をもって制し得るや。何をもって制し得るや。
(行者)
これぞ真言秘密の法にして、口外すべきにあらず。
口外すべきにあらねども、戒を破りて申し述べん。
即ち、口をすすぎ手を洗い身を清め、東に向い歯をたたく事三十六度し、
手に印契を結び口に呪文を唱ふ。
即ち、臨)・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前・、
怨敵退散・かんまんぼろん・急々如律令と唱えて、
九字を切れば、退散する事、疑いなし。
(道場主)
先程よりの御答一々御尤もなり。真実の山伏と心得て候。
入場さし許す。御通り召されよ。
(行者)
有難く入場仕る。それ一同、従い召されよ。